Mercado de Libertad(メルカード・デ・リベルター)はグアダラハラが誇る最大の市場である。ガイドブックによるとその数は4000店も及ぶという。革製品、電気製品、雑貨、レストラン、衣服等の様々な店があるが、本日、レストラン群の中で変わった光景を目にした。小さいレストランが何十軒も並んでいるが、その一部の店舗集団が、何故か、日本語の看板が多いのである。看板には、Takeo、中島、サオリ、MICHI、富士山(FUJIYAMA)の文字が並ぶ。しかもどれも日本食や魚介類のレストランである(魚スープ、魚揚げ、寿司等の店)。PESCADERIA "TOMAS" TAKEOという店にカウンターに座り、店のオーナーにその理由を聞いてみた。そのオーナーも若干東洋人のような顔をしているが、実は、日系2世だという。父親が福岡県の1世で、母親がメキシコ人だとという。Hideki Nakashimaさんという、そのOwnerは日本語も話せるのには驚いた。
実は、戦時中のメキシコの日系人は全て、グアダラハラ又は、メキシコシティーに強制移住させられたという。米国のように収容所に住まわせることはなかったが、当時、ティフアナ近辺に住んでいたHidekiさんの父親も、グアダラハラに強制移住させられたそうだ。移動させられたものの、商業活動の自由は認められ、日系人の何人かが、魚屋を始めたのがきっかけで、日系人全体にに魚の小売に従事する方が増えたようだ。Libertadで、魚介レストランで日系人のOwnerが多いのも、その名残だという。米国やブラジルへの初期の移民と同じく、Hidekiさんの父親も1918~20頃の移民だそうだ。参考までに有名な笠戸丸のハワイ移民は1906年、ブラジル移民は1908年のことである。Takeoで食べたSierraという魚のスープはさっぱりした味で美味しかった。
その後、Lupitaという魚介レストランに生き、Shigematsuさんという方と話をした。彼女の場合はメキシコ生まれであるが、6歳から日本に行き、19歳の際にメキシコに戻ってきたという。1948年に再び舞い戻ってから、しばらくして、旦那さんとともに魚屋を始め、現在、魚屋を始めてから48年目という。旦那さんが、かなり前に他界されたこともあり、その間、大変苦労されたようだ。話を聞く際に、飲み物を頂いたが、彼女が勧めた飲み物ということで、最後まで代金を受け取らなかった。
Hidekiさんの親切といい、Shigematsuさんの高潔さといい大変感銘を受けた。一時は100家族の日系人がいて日本人会の活動も活発だったが、現在は、2世、3世の時代になり、なかなか集まる機会がなくなったという。地球の裏側で、日系人が頑張っている姿に感動した一日であった。
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